※この記事は7/23配信。
水球の開催国枠での出場決定報道は25日。
まあ、男子は既に決定事項だったってことで。
女子は決定おめでとうございます。
【光州(韓国)共同】水球男子の日本代表が、来年の東京五輪までの1年のうち約200日間、強豪がそろう欧州で合宿する方針であることが23日、関係者への取材で分かった。個人で欧州のプロリーグに参戦していた選手も、チームとしての成熟度を高めるため、代表活動を優先する見通し。一丸となって本場で鍛える大胆な強化策で五輪に備える。
計画では、9月にイタリアに渡り、クラブチームとの実戦を重ねる。10月の日本選手権後は年末まで、同五輪金メダルのセルビアやハンガリーで合宿。来年3月までで140日程度、海外で活動することが決まっており、その後も五輪まで主に欧州で強化する。
計画では、9月にイタリアに渡り、クラブチームとの実戦を重ねる。10月の日本選手権後は年末まで、同五輪金メダルのセルビアやハンガリーで合宿。来年3月までで140日程度、海外で活動することが決まっており、その後も五輪まで主に欧州で強化する。
東京へのキーワード“厳しい人生に挑んでいけ” 曲山紫乃 水球
2019年7月23日 12時36分五輪 特集
水球女子の日本代表は、これまでチーム競技で唯一、一度もオリンピックに出場したことがありませんでした。ただ来年の東京オリンピックは、開催国枠で出場権が与えられました。憧れの大舞台へ向け、挑戦を続けている31歳のベテラン、曲山紫乃選手が大切にしていることばがあります。
(山形放送局キャスター 岩内美優)
(山形放送局キャスター 岩内美優)
曲山紫乃選手、31歳。
地元の山形の高校で男子部員にまじって練習しながら、東京オリンピックを目指しています。
「もう1年しかないかっていうのと、まだ1年もあるっていう、どっちにも捉えられるんですけど、私は日本女子水球のために戦うっていう気持ちは誰にも負けない」
地元の山形の高校で男子部員にまじって練習しながら、東京オリンピックを目指しています。
「もう1年しかないかっていうのと、まだ1年もあるっていう、どっちにも捉えられるんですけど、私は日本女子水球のために戦うっていう気持ちは誰にも負けない」
曲山選手の持ち味は、正確なミドルシュート。
さらに、相手の裏をかくパスで、チャンスも作ります。
日本代表の主力として長く活躍し、水球の本場、ヨーロッパでも4年半プレーしましたが、オリンピックには届きませんでした。
4年前には引退も考えましたが、夢を諦めずに東京を目指す道を選びました。
さらに、相手の裏をかくパスで、チャンスも作ります。
日本代表の主力として長く活躍し、水球の本場、ヨーロッパでも4年半プレーしましたが、オリンピックには届きませんでした。
4年前には引退も考えましたが、夢を諦めずに東京を目指す道を選びました。
「4年後、体がぼろぼろになってしまうかもしれないけど、最終目標がオリンピック選手になることだったので、もう一回挑戦してみようと思っていました」
32歳で迎える東京オリンピックを見据え、曲山選手は泳ぎ方の改善に取り組みました。
年齢を重ねるにつれ、疲労の回復が遅くなったと感じたからです。
競泳の指導者に教えてもらったことで、楽に、長い時間、泳げるようになりました。
年齢を重ねるにつれ、疲労の回復が遅くなったと感じたからです。
競泳の指導者に教えてもらったことで、楽に、長い時間、泳げるようになりました。
「今まではどちらかというと、ひじを上げよう、上げようと思っていましたが、今は肩甲骨もしっかり動かして、腕だけで泳がないようにしています。長く泳いでも、あんまり疲れなくなってきました」
さらにトレーニングに取り入れたのが“空中ヨガ”です。
水球とは全く関係ないように見えますが、通常のウエイトトレーニングでは難しい“インナーマッスル”を鍛えることができて、柔軟性も身につくといいます。
「試合終盤でも速く泳げるようになった」と曲山選手。
東京オリンピックに向け、大切にしていることばがあります。
水球とは全く関係ないように見えますが、通常のウエイトトレーニングでは難しい“インナーマッスル”を鍛えることができて、柔軟性も身につくといいます。
「試合終盤でも速く泳げるようになった」と曲山選手。
東京オリンピックに向け、大切にしていることばがあります。
「人と同じことをして なんで夢が達成できるか 厳しい人生に挑んでいけ」
中学生の時に当時の監督から送られたことばだそうです。
リオデジャネイロオリンピックに出られず、東京オリンピックを目指すかどうか悩んだときも、このことばが背中を押してくれたと言います。
中学生の時に当時の監督から送られたことばだそうです。
リオデジャネイロオリンピックに出られず、東京オリンピックを目指すかどうか悩んだときも、このことばが背中を押してくれたと言います。
「水球選手として私の最後の夢がオリンピックの舞台なので、1日1日をまず大切にして、東京オリンピックの時、自分がベストコンディションでベストパフォーマンスができるように、しっかり準備していきたいと思います」
20年を超える水球人生で、初めての大舞台で世界にひと泡吹かせようと、挑戦を続けます。
20年を超える水球人生で、初めての大舞台で世界にひと泡吹かせようと、挑戦を続けます。